「できる」「できない」の2項対比

2023.07.07

 

 

「それにしても、生きにくい」

 

って思うことが多い最近です。

 

そう思った経緯をちょっと書いてみようと思いますので、暇な方はどうかお付き合いください。

 

まず前提として僕の中には、

 

「人生は死ぬまでの暇つぶし」

 

っていう概念があります。

 

これは僕がいろんな判断をするときに土台にしている概念です。これを元にいろんな戦略設計をします。それこそ会社の理念や方向性、事業戦略や事業デザインなんかもしたりします。

 

この概念をもとにどのような思考が展開されるか?というと以下のような感じです。

 

 

「人生は死ぬまでの暇つぶし」

だから、人には期待しない。人は裏切るもの。人には諦めた方が早い。人は期待を裏切るものだから、それも暇つぶしの一環だと思えば楽しい。

 

「人生は死ぬまでの暇つぶし」

だから、過去のことや未来のことには意味がない。すでに起こってしまった過去のことを悔やんでも変えることはできないんだし、まだ起こってもいない未来のことを考えて心配になるのも無駄。目の前の現在のことしか自分は変えることが出来ないんだから、目の前のことを一生懸命にやっていればいい。

だから、メールは秒単位で即レス。最速は最善。迷ったら先に与えてしまう方が早い。迷っている時間そのものが無駄。そのことに恩義を感じてくれる人とだけ付き合えばいい。【会社の戦略設計】

 

 

こんな感です。

 

このようにして僕らの会社は、この概念からワークルールや行動規範などを作っています。

 

この概念が生まれたのは僕らの会社MEETSHOPが生まれた7年前に遡ります。

 

MEETSHOPは僕を含めて4人が集まって作った会社です。40歳代×3人、50歳代×1人の、4人の大人が作りました。

 

4人それぞれが自分の会社を経営していました。連続起業家が4人集まって一つの会社を作ったようなものです。

 

 

「いい歳をした大人が4人も集まって作る会社なんだから」

 

「誰もやったことがないような会社にしよう」

 

 

と、4人のうちの一人が言い出したことを受けて、僕が「なるほどね」っておもって前述の概念を考えました。

 

今まで生きてきてモヤっとしてきたことをクリアにしたい。「なんだかおかしいな」って思っていたことをゼロからちゃんと考える会社にしたい。

 

せっかく作るんだから、どこに出しても恥ずかしくない会社にしたい。

 

そう思ったのを覚えています。

 

(↑ 経営の舵取りは大阪チームの前田と西尾の2人でやっています)

 

僕らの会社MEETSHOPにはいわゆる経営理念のようなものはありません。敢えて経営理念を設けていない、と言ったほうが正しいと思っています。

 

「人生は死ぬまでの暇つぶし」という概念が経営理念の似た位置にあるのかなあと思います。

 

この概念は僕らの魂のようなもののような気がしています。

 

つまり逆説的ですが、理念がないにも関わらず、僕らMEETSHOPがやっているのものは「理念経営そのもの」です。

 

この概念に基づいて会社のルールや行動規範は整理されています。

 

それを、なんだかんだでもう6年も続けていることになります。

 

 

(↑行動規範の一部)

 

すると最近「あること」に気づき始めたんです。

 

なんだか僕自身の能力が上がっていることに気がついたんです。

 

あれ?こんなに見えてたっけ?僕って?みたいな感じです。

 

誰かと喋っていても、その人の言葉が固まりになって頭の中を勝手に動いてくれるんです。言葉が勝手に正しい場所に整理整頓されて収まっていく感じ。

 

するとどうなるかっていうと、いろんな物事の間違っているところや詰まっているところが色がついて見えるようになって、上手くいくための順番や道順が頭の中で絵になって出来あがるんです。

 

僕はというと、その絵を見ながら喋っている感じです。嘘みたいな話なんですけど。

 

 

「なんだよ〜お前の自慢かよ〜」

 

って思われるかも知れないんですけど、そうじゃないんです。

 

僕がMEETSHOPを始めたときに作った前述の「生きることは死ぬまでのの暇つぶし」という概念。

 

これを基につくったワークルールや行動規範のおかげでこのような事象が起こったような気がするんです。

 

そしてこれは、恐らくですが再現性がある。意図して起こしたことなので再現できると思うんです。

 

 

環境設定

(概念を言語化してルール化)

継続する

習慣化する

人生観が変わる

能力が向上する

 

 

みたいな感じです。

 

つまり何が言いたいかって言うと、人生観の書き換えや能力の向上は誰にでも起こる、ということです。

 

だって40歳を過ぎた僕自身に起こったことなんですよ。

 

20代や30代の若くて頭も柔軟な人にはもっと簡単に起こるでしょ。って思ったりするんですよね。

 

 

で、冒頭の、

 

「それにしても、生きにくい」

 

に戻ります。

 

上記のような環境設定の元ではいろんな人から「お前はおかしい」って攻撃されたこともありました。大喧嘩したこともありました。苦笑

 

僕だってそれなりに努力してきました。(多分)

 

都度都度のタイミングで立ち止まって考えてもきました。(きっと)

 

嫌なことだってたくさんたくさん起こりました。(これは本当に)

 

それを、

 

「はいはい、西尾さんが能力高いから出来るんですよ」

 

「はいはい、西尾さんみたいには誰もできませんよ」

 

って、、、

 

0.1秒で思考停止する人たちがとても多いなあ。って思うんですよね。

 

いや!

誰にでもできるし!

 

って思ったりします。

 

 

 

ってことを考えていたら『FINANCIAL TIMES』に以下のような面白い記事を見つけました。

 

記事のタイトルは、

 

『What does it mean to be a boy online in 2023?』
(2023年に男の子であるということ)

 

です。

 

(↑『FINANCIAL TIMES』はイギリスの経済誌)

 

まず大前提として、2023年の欧米のインターネットの世界(YouTubeやTikTokなどのSNSを含む)では女性差別がめちゃくちゃ問題になっています。

 

え??

今の時代に女性差別??

 

って感じなんですが実はそうなんです。最近twitterのタイムラインで話題になったのは(欧米の)「女性は運転が下手」でした。これが大盛り上がりを見せました。

 

この現象がなぜ起こったのか?ってことをこの記事は考察しています。

 

この記事では、10代の若者に支持されているKSIやMr.BeastなどのYouTuberたちがどのようなコンテンツを配信し、それがどのように影響を与えているかを解説するところから始まります。

 

以下、記事の内容を簡単にまとめます。

 

●10代の若者に支持されているKSIやMr.BeastなどのYouTuberはアクセス数を集め視聴回数の伸ばすために、視聴者の注意を引き続けるために極端なコンテンツを発信している。その行為はYouTubeのアルゴリズムに評価され、極端で非道なコンテンツを発信している女性差別的なアンドリュー・テイトや、フェミニズムに懐疑的な心理学者ジョーダン・ピーターソンなどに人気が集まり、数百万人のフォロワーを持つことに繋がった。

 

(西尾注:”フェミニズムに懐疑的”ということは、男性の方が優れているやろ!女性の方が下や!という意味)

 

(西尾注:恐ろしいことにYouTubeで「How to be a man(男らしさとは?)」と検索すると、テイトやピーターソンの動画が検索トップに表示される)

 

●いまオンライン上で拡まっている女性差別は、女性は運転が下手というような単純な偏見からくるものではなく、男性の生来の優越性や体力の美徳について説き「知的に見える性差別(pseudo-intellectualised sexism)」であると、この記事に登場する中学校の教師は説明する。活動団体のEquimundoが16カ国を対象に行った男性の意識調査では、若い男性は年配の世代よりも保守的な意見を述べることが多いことがわかった。

 

(西尾注:”若い男性は年配の世代よりも保守的”ということは、若い世代のほうが女性差別的だ、ということ)

 

●この記事では「有害な男性性(toxic masculinity)」の概念についても歴史的な文脈から解説している。有害な男性性という言葉は2015年頃から一般的に使われるようになり、男性はもっと自分の感情に寄り添うべきだという見識は広く共有されている。フェミニスト作家のベル・フックスは「家父長制は、男性が自分の感情的な部分を殺すことを要求している」と書いている。非有害な男性性は自分の感情を素直に表現するところから始まるのかもしれない。

 

 

なるほどなあ。と。

 

「そういうものだ」

「だってそうだから」

 

っていうものが根底にあるように僕は感じました。

 

(だって、男性、女性、の性別なんて、究極の「変えることが出来ない前提」ですからね。苦笑)

 

この記事に書いてあったことで面白いなあ、と思ったのは、トロントを拠点に活動するストラテジストのテラ・ロワール・ガレスピーさんの提案です。

 

彼は、メディアが描写する男性像が「ナイスガイ(nice guys)」か「マッチョマン(macho men)」に単純化されていることに反論しています。

 

で、もう一つの選択肢として、

 

「テンダーマン(tender men/『テンダー=優しい』の意味)」

 

という考え方を提案しています。

 

彼はテンダーマンの特徴を、「健康的な方法で感情を表現しているか」「ゲイジョークを言わずに男友達への愛情を表現できるか」みたいに説明しています。

 

また、記事の中では、哲学者のアラン・ド・ボットンさんが、ハンフリー・ボガートのような無敵のオーラをまとった「クール(cool)」な男性を称えるのではなく、「温かく(warm)」自分の不安に対して正直な男性を称えるべきだと主張しています。

 

 

冒頭の話に戻ります。

 

「女性」

「男性」

 

「女性らしさ」

「男性らしさ」

 

この2項の対比の先には未来がないのと同じように、

 

「できる」

「できない」

 

「あなたには出来る」

「私には出来ない」

 

この2項の対比の先には未来がないんだよなあ。って思います。

 

必要なのは、

 

「tender(やさしい)」

「worm(温かい)」

 

っていう第3の軸なんですよね。

 

つまり、、、

 

「できる」「できない」だけではないんです。

 

「とりあえずやってみる」

「ワークルールや行動規範に従ってやってみる」

 

みたいな軸があると、この世の中は少しだけ生きやすくなるのかもなあ。って思ったりしました。

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株式会社MEETSHOPの取締役。得意なことは整理整頓と言語化。